目次
インターネット活動歴が10年になったので全部振り返ってみた
2016年12月2日の約8年前に「自分の活動を日付までメモして何やったか書いていって、10年目に振り返りの記事を書いたら面白くないだろうか」と思ってぼちぼち活動履歴を書き続けて8年目。
筆者がインターネットにYokkinという名前でニコニコ動画に動画を投稿したのが10年前の2月17日なので、おとといでインターネット活動歴10年目に突入しました。自分のことなので、おもんぱかることなく気楽に書きます。
~2012年(活動以前)
筆者は小学1年生から身近にあったコンピューターを触っていた子どもでした。親の方針によってゲームをなかなか買ってもらうことはできなくても、どういうわけかPCは問題外でした。
YouTube最高!
筆者はコンピューターを使って何かを作っていたというわけでもなく、最初のころはYouTubeを観たり、インターネットサーフィンをして過ごしていました。一体なぜ私がYouTubeを知りえたのでしょうか?
そのきっかけは小学1年生のことです。『エレメントハンター』というNHKのアニメがあって、このアニメのオープニングテーマとして大好きだった石川智晶さんのFirst Painと、そのエンディングテーマである「スイヘイリーベ ~魔法の呪文~」が聴けないかどうかを親に相談したところ、YouTubeというサイトを親におすすめされました。当時はストリーミング音楽配信なんてものはないので、第三者が上げた音源を聴くことはほんとはあまりよろしくないのですが…。(実際に今より多くの動画が著作権的な問題で削除されていたと思う)
これがきっかけとなって、石川智晶さんがほかに歌唱されている『アンインストール』などを通じてインターネットやニコニコ動画の文化にひた漬けされていきます。初めて聴いたボカロ曲はMEIKOカバーの「アンインストール」だったのを覚えています。
他に覚えていることはあまりないのですが、なんと2012年8月11日にエクスポートしたブラウザのファイルがあるので公開します。ほかに同年2月12日、5月29日のもありますが、今回はその中で最新のものにとどめておきます。当時は、三浦春馬さんが主演だったドラマ、『ブラッディマンデイ』のOSTや、実生活で聴いた音楽をYouTubeで聴き返したりしていたのだと思います。また、ニコニコからの転載動画も多く観ていたことが分かります。(非常に長いのでリンクにしておきます)
2013年~活動契機となるうごメモ3D
筆者は早くにも2013年ほどからうごメモ3Dで音楽を投稿して活動していました。当時は、Yokkinというハンドルネームではありませんでしたが、最古のプロジェクトの更新日時を見ると音楽自体は2012年から作っていたようなので、そこで、アイデンティティを確立させていたみたいです。
年 | 月 | できごと |
---|---|---|
2012 | 5 | たまたまパソコンにインストールされていたLMMSで音楽制作を始めた。 |
2013 | 7 | うごメモ3Dを始めた。自作曲を投稿するために使っていた。 同時期に黒楽譜にも魅了される。友人に勧めるという中々に痛いことをした。 |
2014 | 2 | ニコニコ動画に初めてBlack MIDIの転載動画を投稿した(削除済み)。 |
2014 | 3 | 日経ソフトウェア(2014年5月号)の付録でHTMLを勉強し始めた。 |
2014 | 7 | Twitter(現X)を始めた。 黒楽譜を投稿していたユーザーをフォローして、リプライを飛ばすというはたまた痛いことをしていた。 |
2014 | 8 | Feederというチャットを始めた。 |
2014 | 9 | このサイトのドメインを取得した。 |
うごメモ3Dでは、コインを1枚消費すると投稿されたメモにコメントを付けることができます。コインは一日一枚だけ補充されるのですが、そこで、たまたま仲良くなった人がいて、一日一通の文通をしていたことがあります。そこで、徐々に会話が進んでいくのに従って、Feederというチャットにある、その人の管理する部屋に入るように促されて、その常連として参加するようになります。
普段通りチャットログを見ていると、ある日から、筆者を招待した人の友人がその部屋に入ってくるようになりました。その人も、自身のチャットルームを持っていたので、興味本位から筆者はその部屋にも通い、居心地の良さから住み着くようになりました。私を招待した人はいろいろあって消えてしまいましたが、その一方で、新たな部屋で知り合った複数の友人とは今でも仲良くしています。その頃の友人関係として別に、Twitter(現X)での仲として4人くらいがいまだに関わりがあります。こうした人とは10年を超える付き合いになります。すごいことですね。
黒MIDIにハマる
その後、たまたまおすすめに流れてきたナイト・オブ・ナイツの黒MIDIに魅了され、徐々に興味関心が黒MIDIに移り変わっていきます。当時はパソコンを開く理由といえば黒MIDIの動画を見漁ることにあったと思います。3DSにもわざわざ動画を変換した上で、ニンテンドー3DSカメラからみていたと思います。それくらい好きでした。
2015年~黒MIDIへの傾倒
このようにして、黒MIDIが大好きな少年Yokkinは中学生になり、活動の主体は黒楽譜(黒MIDI)を作ることそのものに移行していきました。その前に、読者の方の中には黒MIDIをよく心得ていないという方も多くいると思うので、簡単に説明します。
黒MIDIについて
黒MIDIは、いわゆる音楽のリミックスに該当しますが、普通のリミックスのようにコードや曲の構成の再構成によってなされるだけではありません。まず、前提として、そのリミックスは標準的なMIDIプレイヤーで再生できるように、最終的には .wav
のような音声ファイルでもなく、スタンダードMIDIファイルである必要があります。そして、ある曲を黒MIDIとして作った時、音楽面ではもちろん、以下のような部分まで配慮して作成される比較的珍しいタイプの音楽のリミックス手法です。
- そのMIDIデータを楽譜としておこしてくれるソフトウェアで読みこんだ時に、実際に真っ黒な譜面として表示されているか?
- あるいは、そのMIDIデータを縦スクロールのピアノロールで表示したときに美しく見えるか?(この点は主観的なところが大きく、黒化のスタイルの流派もある)
このように、黒MIDIは、音楽とビジュアル要素が両方絡んでくるものなので、動画として楽しむにふさわしいコンテンツでもあります。
歴史
そんな黒MIDIは、2009年ほどからもともと「黒譜面」や「黒楽譜」、あるいは「無理楽譜シリーズ」などと称して細々とニコニコ動画で楽しまれていたコンテンツです。これらの動画の中ではMIDIファイルが多く公開されていました。それもあってか、2013年ほどから、TTC(TheTrustedComputer)氏やTSMB2(TheSuperMarioBros2)氏やGingeas氏などがそれらのMIDIを再生したり、より音符数が増すために編集した動画をアップロードしていきます。
これらの動画が呼び水となるように、黒MIDIを作る人々の人口はどんどん増えていきます。ときにはプレイヤーの処理能力の限界をつくほど、大量の音符を詰め込んだ過激な再生動画を作ったり、逆にそれを利用して、Lag Testerと呼ばれるコンピューターの処理能力のベンチマーク的な役割を果たさせるMIDIファイルを作ったり、同じMIDIファイルを複数のコンピューターで再生したものを比較したりする動画を投稿するユーザーも生まれました。Black MIDI Team (BMT)とよばれるコミュニティも誕生し、信頼されたメンバー同士で、積極的なMIDIファイルの交換も行われるようになっていきました。
それまで無秩序に黒化されていた黒MIDIですが、2014年くらいになると、新たに規則的なアートを盛り込むという黒化のデザインパターンが生まれてくるようになりました。このイノベーションの先駆者がThinker AI氏です。氏がのこしていった上海紅茶館や亡き王女の為のセプテットなどの作品は、本当に美しいと思います。床屋のサインポールのようなアートは、界隈の専門用語でwhirls(渦)と呼ばれています。
また、黒化のデザインパターンはこれだけではありません。韓国のコミュニティの中では、先達のような大量の音符を詰め込むほどとは言わないまでも、非常に技巧的な黒化のスタイルを系統立て、どんどん洗練させていったパターンも存在します。これはそういったパターンの中でも特に自分が好きなものの一つで、東方神霊廟4面道中曲の『デザレアドライブ』と、ボス曲の『古きユアンシェン』のマッシュアップです。各所にいろいろなメロディーが隠されていたり、最後に絵があったり、強烈な手の込みようとなっています。
2015年になると、Z-Doc (Zarhym Raider)氏による美しい変拍子と曲調の変化が特徴的なEpitome of an EnigmaやTSMB2氏のThe Destroyer、また同氏によるVoyageなど、これまで二次創作が主流であった黒MIDIが、一次創作として公開されるパターンの動画も投稿されるようになりました。こうした作品は、先達の形式を踏襲しつつも、作者独自の黒化の方法を取り入れることに成功しています。また、東方の道中曲の黒MIDIを数多く作成していったEpreTroll氏やScubDomino氏のような人々もいました。このように、2015年は黒MIDI界隈でも変化が激しく、多種多様な黒MIDIが投稿されていた時期です。
こうして、筆者はグローバルに展開されていったコミュニティーに憧れを持ち、一足遅れてBlack MIDI Teamの日本版として、もともと黒楽譜を作っていた人々を招待して、Japanese Black MIDI Teamというものを作って、いまは無きGoogle+というグループ上で活動していました。
黒MIDIの制作を通じて得たもの
黒MIDIというコミュニティに加担していて得たものは計り知れません。まずは、海外のコミュニティで活動することが、当時の英語の勉強のモチベーションになっていました。当時は中学生だったので、このときから英語に対して苦手な意識を持たず、むしろこの先も学生生活を送るための武器として大いに英語を役立てることができたのは本当に良かったです。
また、ゼロからの黒MIDIの制作に必要な耳コピを通じて培ってきた相対音感も、今の今まで役に立っています。先述のように黒楽譜を作る工程には、まずオリジナルの曲を耳コピする過程が含まれます。自分で音楽を作る今となっては、この時の経験が本当に素養になっていると感じます。
また、20人ほどいたJBMTのメンバーの中にも、現在でも交友があったり、今は自分とのかかわりがなくてもメンバー同士でつながっていたりすることがあるみたいです。また、作曲家やイラストレーターに転身して、素敵な音楽や絵を生み出している人もいます(CS4Wさんとかしーださんとか)。そういう人たちを見ていると、うれしいなあと思うことがあります。
年 | 月 | できごと |
---|---|---|
2015 | 4 | 自作の黒楽譜を始めて投稿した。(耳コピも始めたのもこのころ) |
2015 | 6 | YouTubeに動画を初めて投稿した。 |
2015 | 8 | ALEX氏とニコニコ動画黒MIDIチームを設立した。いろいろあって、彼はもういません。記念に残しておきます。ブログとTwitter(現X)。 PHPを初めて触ってプログラミングをした。 |
2016 | 1 | ニコニコ動画黒MIDIチームがJBMTになった。 黒楽譜をいろいろ作った。 |
2016 | 10 | Discordのアカウントを作った。 Google HangoutからDiscordユーザーに転身する。 |
2016 | 12 | Keppy’s MIDI Converterの日本語訳をする。 |
2017年~過渡期
この当時はアニメをよく見ていました。なかでも、『けものフレンズ』に没入していきました。また、筆者はFeederというチャットを渡り歩くDiscordユーザーでもあったので、当時お世話になっていた「けものフレンズチャット」というコミュニティで、Discordの支部的なものを作ってしばらくそこで何人かと共同で運営していました。
また、ある作者の作る音楽とその映像作品を聴いて本当に大きな衝撃を受けました。受験が終わってからは、一心不乱にそういう音楽を作りたいと思って色々真似をしたり、ニコニコ動画にそういう動画を投稿していました。
年 | 月 | できごと |
---|---|---|
2017 | 5 | 『けものフレンズ』にハマった。 Discord鯖「けものフレンズチャット」設立。 暫くコミュニティーでの活動が続く。 |
2018 | 2 | 「表情をつけられたカバー曲」を投稿する。 以降の活動は音楽が主軸になる。 |
2018年~再出発
黒楽譜から離れて、筆者はFL StudioをメインのDAWと据えた作曲活動を再開しました。
当時、生年別コンピに参加していたのは、JBMTで仲良くやっていた作曲ガチ勢の友人から、その人のDiscord上の自鯖への招待があり、入ったそのサーバーで、同じ同年代でDTMをやっている人が集まるサーバーがあることを知り、そのサーバーに入った結果、そういった企画があったことを知って参加しました(伝わってるといいな)。
2019年の春には今でも繋がりのあるkre4tiveに彼が運営していたサーバーへの招待を受け、わけあってsanctunesというサークルで活動することになります。また、同時期にM3に初めて参加して、えもーちぶの新譜を手に入れたことは本当にいい思い出です。
ただし、当時は弱小PCで自由にお金を使うことも許されていなかったので、性能とプラグインのパフォーマンスを気にしながら完全にフリープラグインとFL Studio付属のシンセと無料の音源で作っていました。今考えると自身のポテンシャルを潰すようなつらいことをしていたなあと思います。本当に、しょうがないことではあるのですが。
年 | 月 | できごと |
---|---|---|
2018 | 8 | 生年別対抗コンピに参加した。 |
2018 | 12 | Lamplight EPを投稿した。 |
2019 | 3 | kre4tiveと仲良くなった。音楽サークル「sanctunes」結成。 |
2019 | 4 | 初めてM3に一般参加した。人生で初めてオフした。 |
2020 | 3 | コンピレーションアルバム「POWER」に「Smoke」として参加。 |
2020 | 6 | コンピレーションアルバム「TOWN」に「初夏の街路樹」として参加。 |
2021年~自分のPCを持つのは最高!
大学に入る前くらいの時期に自作PCを組みました。この自作PCの構築によってすべてが自由になりました。というのもそれまで、何から何まで家族共用のPCを使っていて、しがらみが多く自由にソフトウェアをインストールもさせてもらえなかったのです。
そういうことを気にする必要のない自分のPCで、さまざまな環境を構築できるようになって、音源を買って使ってみたり、オーディオプラグインをたくさん動かしたり、PythonやPHPなどの実行環境をこしらえたり、Arch Linuxを仮想マシンにインストールしたり、本当に色々なことを試行錯誤できるようになって、徐々に自分の中でやってみたかったプログラミングの機運も高まっていきました。
WordPressテーマの制作
そうした機運の中で、楽曲制作の依頼を受けるつもりで、「人が見てくれるようなオシャレな見た目を兼ね備えたオウンドメディアが欲しいや!」と思ってこのウェブサイト専用のWordPressテーマの開発を始めました。開発当初、HTMLやCSS、PHPの書き方は多少わかっていたので、苦労しつつもなんとか機能するウェブサイトを作ることができました。
なお、当時のコーディング力と構築力は💩レベルだったので、見返すのが怖いです。近いうちに完全ヘッドレスにして、フロントエンドをReactかSvelteか何かのフレームワークで作ってみるのに挑戦したいと思います!それならPHPのコードも帳消しにできる可能性が微レ存!?ご期待ください。
AtCoderを始めた
2023年、sharu(sanctunesのメンバーです)に説得されてAtCoderという競技プログラミングのサイトの今ストに参加し始めました。螺旋本も買いました。この本を読んだり、いろいろな問題を解くうちにコンピューターサイエンスという概念やらアルゴリズムの意義を深く知れたし、コーディング力もだいぶ上がったと思います。大体毎週参加するようにしていたけど、問題演習が全然できてなくてモチベーションを保てず放置気味なのは申し訳なく思ってます。すまん。
年 | 月 | できごと |
---|---|---|
2020 | 12 | Cabbageを使ってPseudoPhaserを開発した。 |
2021 | 1 | 本ウェブサイトで利用されているWordPressのテーマ、Odamakiを開発開始。 |
2021 | 3 | 自作PCを組んだ。 当時、開発環境として利用していたVirtualBoxのゲストOSを自動起動するために、PowerShellスクリプティングを始めた。 |
2021 | 5 | オリジナルアルバム「折々」をリリースした。 |
2021 | 10 | コンピレーションアルバム「RAINY」に「Me with Seagulls」として参加。 |
2022 | 4 | コンピレーションアルバム「或る町」に「Clock Tower」として参加。 |
2022 | 7 | 身内用のMinecraftサーバーを立てた。今はもうないので何も伏せない。構成はこんな感じ。 Linuxに向き合いはじめたのもここらへん。 Pythonを勉強し始めた。 |
2023 | 4 | コンピレーションアルバム「浮遊」に「Cambrian」として参加。 AtCoderを始める。 |
今何やってるの?
マルチサーバーで動くDiscord上のBotを制作中。
多機能にする予定なので、機能をそのまま実装していたらごちゃごちゃして管理が大変になってしまうのでDDD(ドメイン駆動設計)について学びながらコードを書いている。抽象化は難しい。
それから、RDBMSやDMLの一つであるSQL文に親しむことも目的としている。データベース上にサーバーごとに異なる設定を格納して、アプリケーションがそのサーバーからのリクエストに応答するときにそのデータをどのように利用するかということを考えながらテーブルの構成を考えたりしてる。具体的にはER図を書いたり、Scrapboxに調べたことを書きなぐって見返して復習したり、いろいろな勉強方法を実践しつつ実装を試みています。
以降は箇条書きで許してね。
- 就活(内定ほしいよ~)
- 「未経験」ってどこからどこまでを指すわけ???
- 音楽
- 今年も音楽出せたらいいなあ|д゚)
- 車の免許
まとめ
ここまでYokkinという人間の片鱗について、関心を抱きつつここまで読み切ってくださったことを大変ありがたく思います。いままで色々な人と出会って、挨拶もできないうちに別れたり、時には二度と会えないことが確約されたつらい別れ方もしたり、色々な悔いがある中で、本当にすばらしい出会いもたくさんありました。インターネットは素晴らしい場所です。ここぞという場所でデジタルタトゥーを残しつつ、これからの10年間も頑張って走り切りたいと思います。
これまで私に関わってくれたすべての人、本当に今までありがとう。
これからもどうぞよろしくお願いします。
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